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ロシアW杯より藍をこめて

サッカー日本代表・ロシアW杯への道程・藍は日本代表ユニフォームの色をイメージ
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Act.19 【監督が代わっても、いつか見た日本代表だった】

ガーナとの親善試合。西野監督は新しいやり方で選手を鼓舞し、日本が持っている良さが前面に出るように苦心していた。しかし、結局この試合で改めて分かったことは、W杯において日本には2点取られたら3点取り返すというサッカーは不可能という事だ。攻撃の展開は良かったようにも見えるが、ガーナは前日来日したばかりでコンディション不良。その上、親善試合気分なのか、プレスのスピードも当たりもユルユルだった。その相手に、パスだけ繋ぎシュートは外しまくって点は取れず、結局守備のミスで失点。これは過去何度も繰り返してきたことだ。こういう事を打開する為に外国からそれなりの監督を招聘したはずだった。何かを根本的に変えるために。

このサッカーでは、コロンビアに猛スピードで隙間を突かれるのが目に見える様だ。ボールさえ持たせてもらえないだろう。まあコロンビア相手に同じサッカーで臨まないとは思うが、だったら何故今これをやるんだという話になる。W杯では守って守って守り抜いて、隙あらば速いカウンターで得点を奪うサッカーしか勝つチャンスは無いのかもしれない。つまり相手が前掛かりにならなければ得点はノーチャンスだ。それをするには、まず強固な守備が不可欠だ。格上に先制され、引かれてしまえば勝つチャンスは殆どない。弱者の戦い方を身につけなければ世界では勝てない。

ハリルホジッチはリアリストなのだろう。ボールポゼションにも日本らしいサッカーにもまるで興味がない様に見えた。日本サッカーに何かを残そうとか、面白いサッカーをやろうなどとは微塵も考えていない。恐らく、日本代表という持ち駒を用いて、W杯でいかにして相手から勝ち点をあげるかしか頭になかったのだ。当然、代表サッカーの娯楽性は失われるが、W杯でそれが味わえる期待感は、少なくとも今よりはあった。今更タラレバは意味ないが。

まさかもう監督は変えないと思うので、西野監督には代表をワールドカップ仕様にしてもらうしかない。しかし過去を振り返ると、本番前に勝てない方が逆に本番で良い成績を残しているので、そうなる可能性を信じたい。



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Act.18 【スポーツの指導者は語れるべき】

日大アメフト部指導者の記者会見を見て、やっぱり団体競技の監督やコーチというのは喋りが上手くないと駄目だとつくづく思った。質問も似たような質問ばかりで飽きてしまったが、質問に対して何を喋っているのか良く分からない。とにかく回り道をするし聞きにくい。サッカー協会の記者会見以上の分かりにくさだ。こんなに喋りが下手で、指導ができるのだろうか。戦術やコンセプトは伝わるのか。それとも得意の肉体言語を駆使しているのだろうか。スポーツの指導者はその経歴だけではなく、喋りの試験を課したらどうだろうかと思ってしまう。この記者会見では司会者が一番、主張が明快で目立っていた。

はるか昔、まだTVで巨人戦が毎晩放映されていたころ、毎日のように野球を見ていた。父親がいるときは野球中継を見ながら父親のウンチクを聞き、僕もプレーについて思ったことをしゃべり、そして翌日学校でも友人と巨人戦について語ったものだ。スポーツ新聞の監督談話や、評論家の意見を読むのも楽しみの一つだった。

文化には言語の関与が不可欠であるが、スポーツも文化であるなら言語無しでスポーツ文化は成り立たない。サポーター的に言うなら、見た人、つまりファンが語るのを楽しめるという事が重要になる。更にそのネタとして、プレーの奥に秘められたあいまいな概念を明確にしてくれるアナウンスもあった方が良いに決まっている。その方がそのスポーツにより深みが増すというものだ。そしてそれは監督の仕事の一つだと思う。選手を指導する為は勿論だが、とにかく監督は喋りが上手くないとスポーツ文化は花咲かない。盛り上がらない。駅伝の青学監督ぐらい喋れた方が良い。朴訥、寡黙では駄目だ。プロサッカーの監督の場合は特にそれが必要だと思う。





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Act.17 【日本代表監督は今後も日本人になるのか】

ガーナ戦に向けた27人の選手発表の時、西野監督はGK以外ポジションを書かないで欲しい、みたいなことを言ってポリバレントを重視したことを強調していた。中島を外した理由もそれであるという。このメンバー選考を見て「有名な人は外されないんだね。大谷さんは入ってないの?」と嫌味を言う女性もいる。僕の娘だが。NHKでは山本昌邦さんがハリルホジッチは「戦術ありき」だったが、西野さんは「選手ありき」の考え方だと述べていた。

「選手ありき」ということは、我らがサッカーになるという事か。この際だから勝ってもらえればどうでもいいか。一つ言えることは、どういう選手が選ばれるにしろ、今の時期はグループリーグで対戦する相手にどの様に対峙するかの戦略的ディティールを詰める時期だという事だ。大雑把なチームコンセプトなどを述べている時期はとっくに過ぎている。しかし、スカウティングという意味では、この時期の監督交代も悪いことばかりではない。相手国にとっては「今までのスカウティングは何だったんだ!」という事になるのかもしれない。まあ日本相手ではそれほどの問題ではないのかな。とにかく西野監督には、「結局、本田や香川をW杯に出させたかっただけ…」等と言われないような采配を期待したい。

そういえば、田嶋サッカー協会会長は「ロシアW杯以降も代表監督は日本人で」という意向であるという記事を何かで読んだ。今後は国際経験豊かな外国人監督が日本代表を率いることが無いという事になるのだろうか。

戦術やコンセプトが「独りよがり」にならない為には、絶えず世界と接することが重要だ。日本を含め、アジアが世界に勝てないのは地政学的不利が大きな原因の一つである気がしてならない。強豪国と本気で戦う機会が無ければ世界との差も分からないし、例えば守備の文化も根付かない。欧州や南米の中堅国が持つ強かさ、しぶとさは、予選に強豪国がいるからに他ならない。サッカー弱小国である日本は、そこで経験値を積んだ名将にまだまだ学ぶべき時期だろう。

次の4年間を日本人が監督をすることにより、妙なバランス感覚、つまり「忖度」をコンセプトにしたチームができないように祈るばかりである。



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Act.16 【日本らしいサッカーとは「柔よく剛を制す」なのだろうか】

クラシコで久々にメッシを見たが、もう30歳になるのに全く衰えていないのには驚いた。それどころか、ますますそのサッカーに磨きがかかっている。ペナルティエリア内で彼がボールを持つと、どんなに相手選手でごちゃごちゃしていても、かなりの確率で得点となる。全く凄い選手がいたものだ。

メッシで思い出したが、2010年W杯の時、アルゼンチン代表監督はマラドーナだった。彼は戦術について「メッシに預けろ」しか言わなかったという笑い話があるが、メッシのプレーを見ていると、本当の話だったのかもしれないと思えてしまう。

それにしてもマラドーナは破天荒な監督だった。もともと本能でプレーするような天才肌の彼は、論理的思考が必要な監督業にはどう見ても向いていないと思われた。引退後の私生活はハチャメチャだったが、監督に就任してからもリンゴをかじりながら記者会見をしたりマスコミに激しく悪態をついたりと、あまりにその動向がユニークだった為、当時のアルゼンチン代表チームは選手より監督の方が目立っていた。

考えてみれば、歴代の日本代表監督も個性的な人が揃っていた。まあ監督というのはどこの世界も個性派ぞろいではあるが。
僕が日本代表監督で特に印象深かったのは、フィリップ・トルシエとジーコである。

トルシエはフラットスリーなる戦術を選手に教え込み、試合で上手くできないと怒り、上手くできると「言った事しかやらない」と言って嘆き、とにかくいつも顔を真っ赤にしてわめいていた。「中田ヒデ?サッカーは1人でやるわけではない」と言っておきながら、韓国戦で中田を入れたら突然ワンランク上のチームに変化したのを見て、その後中田の顔色を窺うようになった等々、色々と面白い話題を提供してくれた監督だった。彼は「日本人は自動車が通っていないのに、信号が赤だと道を渡らない」等と言って、日本人のことを特徴的に捉えていた様だ。アフリカを指揮したときと同様に管理主義を徹底し、選手に対して、いや、誰に対しても常に上から目線であった。フィジカルトレーニングを重視し、フラットスリーという妙な戦術に固執した。

トルシエの後はジーコが代表監督に就任したが、トルシエとは真逆のサッカー観だった。とにかく「自由」。トルシエの時の反動からか、我々もそれを喜び、支持したものだった。彼は「天才は共存できる」として、当初は中田英寿、中村俊輔、稲本潤一、小野伸二を中盤ダイアモンド型に配置し、あとは「どうぞお好きに」みたいな感じだった。つまり戦術らしい戦術は全くなかった。この傾向は4年間続いた。強制的にやらせたのは、選手が試合でシュートを外しまくった翌日、ひたすらシュート練習をさせた事ぐらいか。よくこれで4年間も監督としてもったものだと思うが、やはりドイツW杯での結果は散々だった。グループリーグ敗退後、最後にジーコが言った言葉はこともあろうに「日本人はフィジカルが弱すぎる」だった。これを聞いて「何年も日本に居るのに、何を今更…」と苦笑した日本人は多かっただろう。フィジカルについてはトルシエも「日本のフィジカルエリートはここにいたのか!」と横浜ベイスターズ(当時)の二軍キャンプを視察して言ったものだ。彼も日本人サッカー選手のフィジカルを嘆いていた一人だった。とはいえ、ご両人とも日本サッカーに大きく貢献したことは間違いない。

そういえばザッケローニも「インテンシティ」という言葉を使い、ハリルホジッチも「デュエル」という言葉で「強さ」を鼓舞していた。やはり日本人選手は世界基準に対してあまりにも「強さ」が足りないように感じるのは、海外から見ると皆同じの様だ。

「日本らしいサッカー」という言葉の意味合いとして「柔よく剛を制す」という言葉がある。欧米人に体格で劣る日本人が技で活路を見出そう、という意味で日本柔道で使われた言葉である。しかし本来は中国の兵法書「三略」に書かれてある言葉で、「やり方によっては柔和な者でも剛直な者を制御することや、弱い者でも強い者を制御することが可能な場合もある」という意味で、決して「柔らかくしなやかな者こそが」という意味ではないし、それを推奨しているわけでもない。

というのも、三略でそれに続く言葉として「柔でもあり剛でもあればその国は繁栄し、弱でもあり強でもあればその国は影響力を増す。しかし柔かつ弱でしかなければその国は必ず削られ、剛かつ強でしかなければその国は必ず滅びる。(原文略)」という様な事が書かれているからだ。

つまり、何事においても柔、剛、弱、強をバランスよく使い分けなければならないと説いている。これはサッカーにも当てはまる事で、ハリルホジッチの方針が日本人に合わないとしても、ボールを繋ぐだけのサッカーでは駄目なことは最近の欧州サッカーを見ればよくわかる。長所を伸ばすのは結構だが、一方のやり方に偏らず臨機応変の使い分けが必要なのだ。

話は変わるが、日本人に対してあまり理解がない、沸点が低い、フィジカルを重視して同じ戦術に固執する、という点においてハリルホジッチはトルシエとよく似ている。フランス国籍を持ちアフリカのナショナルチームで名を馳せたという点においても同じである。歴史は繰り返すとはよく言われるが、ハリルホジッチの反動で今後の日本代表がジーコの時のようなサッカーにならなければ良いのだが…。





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Act.15  【日本代表は自分たちのサッカーで先祖返りするのか】

2012年のロンドンオリンピックの時、日本は銅メダルをかけて韓国と戦った。
試合前、韓国の洪明甫監督は「我々は日本を良く知っている」と語っていた。中盤の激しいプレスやロングボールの対応に日本はあまり強くない。体力も限界にきている3位決定戦では、韓国のDFはしっかり守って低いラインを保ち、ロングボールを多用してくる可能性が高い。それに日本の場合、俊足の永井のスペースが消され機能しなくなると、全体的な動きが鈍くなるのはメキシコ戦を研究すればわかる事だ。従って、韓国がどの様なサッカーをやってくるかは十分に予想が出来たはずだ。

それに対して、日本の監督は「自分達のサッカーが出来れば結果はおのずとついて来る」という様な事を盛んに言っていた。「自分達のサッカーが出来れば」、ということは「普段の力が存分に出せれば」という意味で、まさか「相手が誰であろうとやり方を変えない」、という意味ではあるまいと思っていた。普通に考えると、相手のストロングポイントを押さえる事は戦いでは当たり前の事だからだ。

しかし、日本はその前に戦ったメキシコ戦と変わらぬ先発メンバーで変わらぬ戦術で挑んだ様にみえた。特別に誰をどうケアするというのも見られなかった。高い身体能力を持つ韓国のFWが、一発のロングボールをものにしてシュートまで持ちこめる力がある事は分かっていたはずだが、まんまとそれにやられてしまった。

要するに、強い身体という自国選手の特徴を生かして日本の弱点を突いてきた韓国に、何も対策を講じてこなかった日本が完敗したように見えてしまった。何かの対策を講じたのかもしれないが、全くその片鱗を見ることができなかった。その時僕は「こりゃあA代表と同じだな」と思ったものだ。

その上、日本の監督は「気持ちが強い方が勝つ」みたいなことを試合前日に繰り返し述べていた。勿論、精神論も重要だろう。しかし、この場に及んであまり公の場に持ち出して欲しくないと思った。それは「過去における大戦時の玉砕」という嫌な文言を思い出してしまうし、あまりにも論理性に欠ける言葉だからだ。第一、もし負けたら「気持ちが弱かった」という事になるのだろうか。選手がそれを言うのは構わないが、監督や指導者がそれを言ってしまうと、選手に全ての責任を押し付けているように聞こえてしまう。職務放棄である。監督はそれを言う前にやるべき事がたくさんあるはずだ。ともかく、この試合ではっきりしたことは、日本が負けたのは「気持ちの強さが韓国に劣っていたからではない」という事だ。

再び「自分たちのサッカー」、「オールジャパン」のいきつく先が「気持ちが強い方が勝つ」みたいな精神論にならないことを祈るばかりである。


ところで、解任されたハリルホジッチ氏が日本で記者会見を開くという事を聞き、どうせ協会をぼろボロクソ言うのだろう等の憶測が流れたが、内容は違ったものだった。要約すれば、田嶋会長が言っていた「多少のコミュニケーソン不足」に対して、「そんなことはなかった、いきなりクビになった」というものだった。両者の主張は全く食い違っているが、一部の選手からは「コミュニケーション不足など全くなかった」という声も聞く。現役の代表選手が日本サッカー協会様に逆らう意見を言うとは、大した度胸だと思ったが。

まあどちらの言い分が正しいかはともかく、やはり「多少のコミュニケーション不足」だけでは開催2か月前に解任する理由には程遠い、という事を改めて痛感した。仮に「コミュニケーション不足」があったとすれば、それは協会側の方だったのかもしれない。




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